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「Androidは電気羊の夢を見るか」を読みたい管理者のブログ

仕事などでの色々な発見を記事にしてます。不定期更新。

サラリーマンでい続けるという”才能”

NHK大科学実験ってあるじゃないですか
あれってすごい下らないことを大真面目にやってるじゃないですか
下手したら1日がかり
あれ見てる分には面白いけどやってる人からしたら「何のためにやってんだろうな」って絶対思ってると思うんですよ
そう、人生にはくだらない仕事ばかり

fujipon.hatenablog.com

どうも僕は、というか、最近のインターネットでは「承認欲求」というものが、あまりにも負のイメージで語られ過ぎているのではないか、と感じます。
羽生選手のこの「見てもらいたい」というのと、ブログで自己アピールしている人は、どちらも「みんなに自分を認めてほしい」という欲求なんですよね。
厳しい練習をして、これだけの結果を出している羽生選手の「承認欲求」を嘲笑する人はいないけれど、ネットの世界では「会社をやめてブログで食べていきます」って言ったり、自慢っぽい文章を書いたりすると、「ああ、また承認欲求モンスターが出てきた」と小馬鹿にされてしまう。
ある意味、羽生選手のほうが「承認欲求モンスター」なのに。

羽生選手の「承認欲求」が認められて、「ブログで食べていく」という人の「承認欲求」が歓迎されないのはなぜか?

違うんですよ、それ承認欲求じゃないんですよ、と声を大にして叫びたい。
叩く側も、叩かれる側も。

引用先で言及されてる記事はこれと思われる。
www.continue-is-power.com
今は消されてしまったみたいだけど「サラリーマン以外の働き方を認めないんじゃなくてお前を認めてねーだけだよゴミが - きもろぐ」という記事が書かれた。
http://piza10hiza.hatenablog.com/entry/2015/11/29/100932
魚拓で読めます。
megalodon.jp

ネット上で脱サラしてプロブロガーを目指すというと嘲笑される理由

答え
人生の初期においてプロブロガーを目指してこなかったから。

誰もが下らない人生を送るために子供時代を過ごしてきたし実際大人になってからも下らない生き様を生きてる。
誰かに与えられた人生という名のレールをただひた走る。
選んでしまった以上は責任を持つしかないじゃないですか。小島アジコさんの「猫を殺す仕事」じゃないですけど。
みんな、どうやって大人になってるの?

一部はネットでも読めます。
orangestar.hatenadiary.jp

小さい頃に熱中したものを大人になっても続けてる人って滅多にいない。生まれ変わったら今の趣味を小さい頃から始めたいって言ってる人よくいるけど、ではあなたが小さい頃に熱中したものを今でも続けてるんですか。って返したら大勢が小さい頃に飽きてそのままになってると思う。
ゲームだって、極論すれば子供の遊びなんですよ。でもプロゲーマーという職業が成り立つ*1のはゲームを小さころから続けてきたからでしょう?
そして、プロゲーマーにお金を出し続ける人が居るお陰でこの職業は成り立っている。

だから、羽入選手が平凡なサラリーマン人生を送ってる人生もあったかもしれない。

では羽生選手が気分が変わって明日からサラリーマンを目指しますとか言いだしたらみんな応援しないと思う。

それは自分の人生に責任を持っていないから。

そもそも道を外れた人生を送ってる人がレールの上に戻るってのは楽じゃねーんすよ。もうやだ! 見られる快感を知ってしまった! 上司に振り回されない自由を知ってしまった! そもそも社会的にフリーに”降りた”人は正社員に戻れないという風潮がある。
僕自信が今フリーで仕事やってるからこんなことを言ってる。

サラリーマンをやってる人がサラリーマンやれてるのもそれは才能なんですよ。平凡な才能かもしれないけどさ、充分立派なことでさ。
上司の不条理な要求を本当は白と思っても上司が黒と言えば黒って言えてしまう従順さを、サラリーマンは(正確に言うとサラリーマンを続けてる人は)手にしている。

サラリーマンでい続ける、という゛才能゛

それは自由を捨てる才能と言い換えてもいいかもしれない。
たとえば糸井重里は日刊イトイ新聞を立ち上げた理由について次のように述べてる。

 どういうふうに、先が見えなくなったのかというと、たとえば十年後とかに、どこかの企業の顧問に収まって、広告の相談役になれたとします。そうすると、たとえば毎月二〇万円ずつの給料をもらって、四社も請け負えば、もちろんそれなりに不自由のない生活はできるわけなのでしょうが、そうなってしまうことは、ぼくの性格からするとかなりつらいイヤなことなのです。二〇万円という価値よりもずっといいアイデアを、いつだって提供し続けられる自信はあるんですが、「顧問という役職を、切られたくないなあ」と立場を守ることに必死になってしまう可能性だってあるでしょう。ないとは言い切りません。これは、なりたくない。
 しかし、ぼくも他にすることがなければ、そうなってしまうかもしれないと思うのです。
「この位置を、なくさないでね」とキープする立場にいると、企業の人たちの顔色を窺ってしまいますから、アイデア上で冒険できなくなってしまうのではないか。そうなったら、もう、発想する意味がなくなると思います。アイデアを出す側になるのなら、「このお金は、なくてもいいや」と思うところでやらないと、無理が出てきます。
「それはちがうよなあ」と思って、自分の同世代よりも年上の人で、ものをつくっている人を眺めてみたわけです。しかし、どうやらそうやっていわゆる偉い人になってしまったり、学校の先生になったりしない限り、方法はないように見えました。
 では、クリエイティブで生きていくには、社会に寄生しながら暮らすしかないのでしょうか……?
 けれど、ぼくはアイデアこそが社会のすべてだと言ってもいいくらいに考えているから、アイデアを仕事にしてきた人たちが、どうしてみんな衰退して不本意に社会に寄生していかなければならないのかと思ったわけです。それは、何かイヤな感じがしました。

インターネット的 (PHP新書)

インターネット的 (PHP新書)

そんな糸井さんの臨終の言葉は「ああ楽しかった」がいいそうだ。
ああ楽しかったと言って死にたい。
2001年の本だけど予言の書かと思われるくらい的を射た議論が繰り広げられてるから皆読むとよい。

サラリーマンになるのも才能だしサラリーマンで居続けるのも才能だ。
そもそもレールに乗せられた人生を歩めなかった人はサラリーマンやってねぇもんなー。

追記
正社員がフリーになりたいと言ってきたら丹念に実情を説明して静かに反対を表明する。