「Androidは電気羊の夢を見るか」を読みたい管理者のブログ

仕事などでの色々な発見を記事にしてます。不定期更新。

コミュニティの形成

コミュニティの形成には段階があって
第一段階
コンテンツの共有
それはたとえば好きなアニメだったり音楽だったり共通の趣味だったり
そういう人たちが一箇所に集まってコミュニティを形成し始める
第二段階
文脈の共有
あるコミュニティが長く続けは必然的にハイコンテキスト(高文脈)になっていく。
そこで重視されるのはコンテンツよりもむしろ「同じ文脈を共有してる仲間」であって、このことが新参者の参入障壁を高くしている。
第三段階
人のコンテンツ化
これは第二段階と通じるものがあって、ある人のキャラクターがそのコミュニティの文脈を形成していきついには人がコンテンツになってしまう現象がある。
身近な例を示そう。
ここ「はてな」ではid:wattoがしいたけ大使になってる。
彼は「しいたけキャラ」を確立した。
キャラの確立過程は文脈抜きには語れないことは言うまでもない。
このことは
anond.hatelabo.jp
がそこそこ注目を集めたことからも明らかだろう

社会学のおっちゃんとかこんなこと言い出さないかな



id:wattoさんすいませんネタに使わせていただきました


ってなことを考えてたらはてなブックマーク開発者id:naoyaさんがこんなことを述べてた。

FacebookTwitter のようなソーシャルメディアで伝搬してくるコンテンツの価値は、そのコンテンツそのもの単独で決まるのではなく、「誰がそのコンテンツをピックアップしたのか」という要素がその価値における大きな部分を占めると思っています。

d.hatena.ne.jp

ちょうどいい機会なので発信してみる。
ぼくはもっと言って「人が最終的なコンテンツ」になるのではないかなぁと思うのです。

コミュニティの形成過程において最初はゲーム仲間だったりアニメ仲間だったりなんらかの「共通の話題」を持ち寄りこそすれど、その共通の話題の重要性というのは時間とともに減っていく。
それはすなわちそのコミュニティ独自の文脈を育ててくということであり(下図)、内輪ネタがちやほやされるようになる。

f:id:bignight:20160205184230p:plain

図から見えてくるのは、最初はコミュニティは「複数のコミュニティからアクセス可能な文脈」にアクセスしてるのだけど、次第にそのコミュニティ独特の文脈を持つようになって、相対的にそのウェイトが大きくなる。

そしてゆくゆくは人がコンテンツになる。

写真やってて思うのは、「結局人って人が好きだよね」ってことだ。

ぼくなんかYoutubeで弾き語り的に音楽演奏して歌ってアップしてる人たちの動画を散策するのが好きなのだけど、きっかけは「音楽」なんだけどそのうち「その人らしさ」というのを追い求め始めるのではないかなぁと思う。
ツイッターやってて、長くやってるとフォローしてる人が大学に入った、就活した、社会人になった、っていう一連の眺めを見ることが出来て、そういうの見てて「なんかいいなぁ」なんて思うのは、
はてなリア充が寄り付かないのは、

すなわちそういうことなんじゃないかなぁ。

なぜサラリーマンは死んだ魚の目をしなきゃいけないか

www.goodbyebluethursday.com
ずばり
それが社会に与えられた価値だから

なんか人間社会って大勢の人間が一斉のせで同じ方向を向くことで成り立ってるんですよね。
その社会に適応できない人間が、周りと違う方向を向きたがってアウトサイダーになってく。
社会が向いてるベクトルを見定めて同じ方向を向ける人間は「偉い」と言われる。

ではその方向はいった誰が決めてるのかといえば
伝統と慣習ですよ
別にアプリオリに用意されてるわけじゃない
その伝統と慣習という名の「ルール」の中にぼくら生まれてきて
ただそのルールを無条件で受け入れざるを得なくて
その結果がサラリーマンの「死んだ目」なんだろう。

就職するのも結婚するのも、
それらの価値観は言語ゲームの枠内で捉えられるし、
逆に言えば言語ゲームという儚いものの上で成り立ってるに過ぎない。

言語ゲームっていわば帰納法ですよ。
今までそうだったから、という論理でしかあるべき姿を語れない。

その価値観は明日にでも崩壊するかもしれない。
この社会ってのは案外脆い根拠の上に成り立ってるってことです。


はじめての言語ゲーム (講談社現代新書)

はじめての言語ゲーム (講談社現代新書)

インスタグラムに出没するおばさんが叩かれる理由

note.mu
ネット原住民が自分たちのコミュニティを死ぬ気で守りたいんだよなぁ。
ちょっと前にブロガーのことをメディアクリエイターと呼ぼうと言い出した人がいてネット原住民から反感買って話題になってたけど
根底に流れる思想は同じ気がする。

自分たちのコミュニティを守りたいのだ

この人も、この人を叩く人たちも。

そのうちヨーロッパがアメリカ大陸を征服したみたいにネット原住民もリア充民に居場所をどんどん追いやられて隅っこでひもじく生きるようになるんだろうなぁ*1
id:tommy_zinaさんの

女子大生や若いOL、女子高生やなんかが使い始めるとギークがいなくなるっていう1つ前の段階を忘れないで欲しいおじさん。
b.hatena.ne.jp

それな

今時の弾き語り系アーティストは宇多田ヒカルのFirstLoveをカバーしない

togetter.com

『歳をとったら我々も演歌を聴くようになる』て話が、実際は『我々が聴いている音楽が「演歌」と同じ扱いになる』て事実

そういうことか!
と思って軽く衝撃だわ。
あの名曲をCoverしないなんて。
一時は歌い手のリファレンス的位置付けを獲得したこの曲を歌わないなんて。


宇多田ヒカル - First Love

もはや誰がオリジナルか分からなくなってるファイトも、Stand by me も、今時の路上アーティストは歌わない。

中島みゆき ♪ファイト!【HD】

スタンド・バイ・ミー (ベン E キング)

ではもっぱら誰の曲が歌われてるのかといえば
バンプオブチキンはフォロアーが未だに多い
back number(雑誌とかでなくて音楽グループ)とか米津玄師とか秦基博とかは新顔だ。

宇多田ヒカルのFirstLoveはもはや演歌みたいな「古臭い」曲の部類に分類されてるのだろう。

衝撃だ。

3相交流の話

もっとこう「直流回路」から初めて電気には必ず行きの線と帰りの線が必要なんだって話に持って行って電線の線の貼り方が3の倍数なのは1本が行きなら2本が帰りの線になってて2本が行きのときは1本が帰りで3本ひと組だからだって話にもっていったらいいのに。

無表情フェチ

なんかSMAP解散問題でなんか言っとかなくちゃなぁと思ったわけではないのですが思いついたので
buzz-plus.com

なんかふと気づいたんですけどぼくって無表情フェチなんじゃないかと思うんです。
誰でもそうだと思うけど自分の趣味嗜好を分析してみるのって面白いよ?
そんで色々分析した中から挙がってきたのが「無表情」。

こんなの


よさこい光が丘2015 ~ AZUKI

サカナクション / 新宝島

宝島♪


自分の趣味嗜好を分析するのって面白いよ?