「Androidは電気羊の夢を見るか」を読みたい管理者のブログ

仕事などでの色々な発見を記事にしてます。不定期更新。

自己愛について

Evernote漁ってたら出てきたので曝しときます。
文中にTwitterが出てきますが、この垢ではやってないです。探さないでください。
実はネット上で10年くらい使ってるペンネームがあって、もう一方に実名のFacebook系列のアカウントがあって
このアカウントはその間を標榜してます。
どっちつかず。
そんなどっちつかずのアカウントに相応しい文章なんじゃないかと思うんです。

ひょっとしたら僕の問題は自己愛なんじゃないか
好きな人の絵はなんでも上手く見えて
文章はなんでも面白く感じられ
Twitterのポストもなんでも面白く見える
好きになるとはそういうことだ。
これを自分に当てはめてみる。
自分は自分のことが好きだ。

でも、すきだからこそ過剰に期待してしまう面もあるんではないか。
自分ならやれる、なんでもできるはずって。
それはたぶん、好きな人に何かを期待するのと全く同じ感情で
それが若い頃の根拠のない自信に繋がっていくんじゃないか。

しかし、自分に期待しすぎるあまり実際の自分とのギャップにもだえ苦しむ。
それが生きづらさとなったり、自信のなさになったり、死にたいって気持ちになるんだろう。
ようするに僕は自分に期待しすぎで、それができない自分に絶望もしている。
そう、好きな人に期待するのと全く同じことが起きてる きがする。


なぜ僕がこれほどまでの自己愛を持つようになったか
大学時代が関係してるような気がする
大学時代、ぼくは誰とも関係を持たず、完全にひとりきりの世界に生きていた。
それは何を意味するか
愛する対象を持たなかったということ。
愛する対象があれば自己愛は他己愛に変化に変化できる、
その他己愛が友情や愛情と世間一般に言われるものであるんじゃないか。

ぼくはそれを持たなかった。だから愛