「Androidは電気羊の夢を見るか」を読みたい管理者のブログ

仕事などでの色々な発見を記事にしてます。不定期更新。

なんだかぼくら落ち着くところに落ち着いてしまったな

fujipon.hatenablog.com

 ちょっとイヤなことがあると「閉鎖します」と宣言して、閉鎖・移転を繰り返すサイトが少なからずあったし、それに対して、取り巻きたちが「閉鎖なんて悲しいです!」とコメント欄に書き込む。
 そのコール&レスポンスには、様式美のようなものがあった。
 4月1日のネタとして、「閉鎖します」をやる人がいなくなってから、もう何年経つのだろうか。
 サイトやブログにとっての「閉鎖」というのはプチ自殺みたいなもので、自分の葬式に参列できないことの代用なのかもしれない。
 しかし、いまや、インターネットでも「閉鎖芸」みたいなものの居場所はなくなってしまった。

僕それ知ってる
twitter

twitterでしょっちゅう垢消しやってる人がいてtwittterって垢消しても1ヶ月いないなら復活できるからぼくも経験あるから知ってるんだけど
twitterでしょっちゅう垢消しやってるけどtwitterからは出てかないの
なんだかんだいって居心地がいいんだろうなぁ
クライアントにミュート機能があって読みたくない人は自分の投稿を読まないで済ませられる
それがなんというか気楽(と同時にぼくがtwitterから離れつつある原因だ)

TwitterとかSNSが台頭する前は掲示板とかチャットとか過疎ってる個人サイト持つとか、そういう場所に発散するしかなかった
誰もが読む可能性のある場所と言い換えてもいい
twitterの登場でぼくが何を感じたかというと「ようやく楽に息ができるぞ」
twitterが登場する前はなんだかネット全体が息苦しかった感あるよなぁ
「嫌なら読むな」
「読まれる場所に書くな」
というお互いにいがみ合う緊張感みたいなものがあった
その典型が「半年ロムれ」だろう

だから
昔は必死で居場所を探してたのに今じゃ落ち着くところに落ち着いてしまったな感がある
Noteで自殺すると書いた記事が盛り上がってたの知らなかったもん
へーそんなことがあったんだ
どうりで最近自殺エントリが多かったわけだ(深追いする気はない)